![]() |
![]() |
||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||||||||||||||
神田上水懸樋跡 水道橋駅より御茶ノ水駅寄りの道路脇にあります。上水工事が、町人の請負に付されたことが史料から伺われます。延宝5年3月の町触に、「元吉祥寺前の上水道御普請、入札に仰せつけられ候間、望之者は印判を持ち、奈良屋所へ参じ・・・」 |
|||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
||||||||||||||||||||||||
発掘された江戸上水(東京都水道歴史館提供) |
|||||||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||||||
(「東京市史稿 上水編」)とあります。元吉祥寺とは、現在の水道橋駅前の都立工芸高校の場所です。神田上水の管理は奈良屋ほかの町年寄三家に任されており奈良屋所とは奈良屋役所のことで、入札に応じたいという者はハンコを持って手続きをせよという意味です。5月には「このたび、元吉祥寺下の上水大渡樋御普請、入札に仰せつけられ候間・・・・」という町触が出されました。 | |||||||||||||||||||||||||
![]() |
|||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||
←前のページ|次のページ→ (page|1|2|3|4|5|6) |
|||||||||||||||||||||||||