東建月報2009年12月号掲載

2009年10月2日、コペンハーゲンで行われたIOC総会で、2016年のオリンピック開催都市は、リオデジャネイロと決まった。
東京は、2008年1月、IOC に申請ファイルを提出、同年6月に行われた一次選考ではトップの評価を受けた。
その後、立候補ファイルの提出、招致委員の来日、テクニカル・プレゼンテーションなどさまざまな局面を経て、コペンハーゲンでの運命の時を迎えた。
2016年東京オリンピックの実現に向けて、2007年1月号から、連載「世界からつどう」を続けてきた。
その山あり谷ありの招致活動と、東京の現在を見つめてきた3年間。
その内容を振り返ってみたい。


1964年・東京五輪の遺産


▲代々木第一体育館

▲日本武道館

2016年の東京オリンピックのプランは、コンパクトで環境負荷の少ないことが、何よりの特徴となっていた。
そして、「レガシー・プラン」として1964年の東京五輪の施設を可能なかぎり活用する計画でもあった。
「世界からつどう」では、1964年の東京五輪大会時に造られた競技施設や都市インフラについて、数回にわたってレポートしている。
メイン会場である神宮地区、代々木・駒沢公園、日本武道館をはじめ、オリンピック道路や首都高速道路、羽田空港、新幹線、東京モノレールなどの交通インフラ、ホテルなどの宿泊施設などの概要についてである。
それらを改めて見ると、1945年の敗戦からようやく立ち直り、高度経済成長の途上にあった日本の沸騰点が、64年の東京五輪であったと今改めて感じられる。
64年の東京五輪開催が決定したのは、59年のこと。
当時、戦後復興の進んでいた東京都心には、新たにオリンピック会場を造るような空き地は残されていなかった。
メイン会場は神宮地区とされたが、隣接する、進駐軍の将校用住宅地であるワシントンハイツが選手村用地として嘱望され、その後61年に接収が解除された。
結果的に、このワシントンハイツの住宅を転用しながら選手村が造られ、大会後には巨大な森林公園として造成され、代々木公園となった。
原宿・渋谷にかけて、明治神宮に隣接する巨大な森林が残されたことは、64年東京五輪の遺産と言ってよいだろう。
また、戦前の1940年の皇紀2600年にもあたる年に予定されていたオリンピックの開催地として想定されていた駒沢も、64年東京五輪の会場とされた。
当時すでにスポーツ施設を多数備える公園となっていた駒沢の全体計画が、都市計画家や建築家によって見直され、多くの観衆を受け入れられる会場となった。
ここでは、バレーボール、サッカー、ホッケー、レスリングの4種目が行われたが、大会終了後の12月には、駒沢オリンピック公園として開園し、今ではすっかり都民の憩いの場となっている。
周辺もすっかり高級住宅地となり、駒沢と渋谷を結ぶ国道246号、玉川通りには、首都高速道路と地下鉄東急田園都市線が整備されている。
70年代以降の原宿・渋谷・青山、そして世田谷地区の発展は、64年に開催された東京五輪が、まさにその契機となったことがよくわかる。


最近のオリンピック大会

2016年のオリンピック招致で勝ち抜くには、近年開催されている大会の傾向を読み解くことも重要だった。
アテネ、シドニー、アトランタ、そして北京、ロンドンの大会案がどのような特徴を持っているかを、「世界からつどう」では検証している。
近年のオリンピック大会案の傾向は、押し並べて、エコロジーとコンパクト。
2000年のシドニー大会のキャッチフレーズは「グリーンオリンピック」だったし、経済発展を続けCO2の排出量を増やし続けている中国・北京で開催された大会でも「ウォーターキューブ」と呼ばれる太陽光を通すフッ素樹脂フィルムで覆われた水泳場が建てられ、省エネルギーがアピールされていた。
そして2012年、世界のどの都市もが経験したことのない三度目のオリンピックを実現させるロンドン大会のプランは「レガシー・プランニング」を大きく打ち出したものだった。
それ以前の2004年に、ロンドンは疲弊した都市の問題を改善するために「ロンドンプラン」を発表し、公共交通や住宅への投資や環境に配慮した都市づくりへのヴィジョンを明らかにしている。
ロンドン東部ストラトフォード地区という貧困地区を再開発し、公共交通と既存施設を活用しての会場案で開催を勝ち取った。
この「レガシー・プランニング」は、先進国の首都であり二度目の開催を狙う東京のプランも、大いに参考にしている。
64年の東京五輪時のメイン会場の国立競技場などの活用、東京ビッグサイトをメディアセンターに使用、臨海部・有明に建設する選手村は大会後に集合住宅にすることなど、無駄のない効率のよい計画が印象づけられた。


2016 年五輪のメイン会場とされていた臨海部


▲レインボーブリッジ

▲東京ビッグサイト

2016年の東京大会プランでは、レガシープランとして代々木、皇居地区に会場が計画されたが、メイン会場は晴海に、そして臨海副都心や中央防波堤に造営中の海の森や夢の島にも多くの会場が計画されていた。
そこで、「世界からつどう」では、臨海部の現況を探るべく、臨海副都心の現況や海上公園、「海の森」に関しても現地や都庁に何度も取材に出かけた。
臨海副都心の開発が本格的に始まったのは、1980年代後半。
当初は鈴木俊一都知事による東京テレポート構想によって始まり、96年に国際博覧会である「世界都市博覧会」の開催が予定されていた。
93年にはレインボーブリッジが開通、95年にゆりかもめが新橋-有明間に開通。
その後、都市博中止を標榜した青島幸男都知事当選により公約どおり95年中止されたが、それ以後も、96年臨海高速鉄道が開通、97年フジテレビがお台場に移転と、臨海部は徐々に「街」としての相貌を整えていった。
その後も、臨海副都心は、コンベンション施設である東京ビッグサイトや、住宅、ホテル、オフィス、スポーツ・レジャー施設などのある、東京ウォーターフロントの新しい貌となっている。
4期に分けて進められている臨海副都心の整備は、平成17年度までに第2期が終了し、現在はインフラ整備の完了を目指し、青海、有明北・有明南のまちづくりが、平成27年度完了の第3期として進行中。
臨海部には、都の港湾局により多くの海上公園が整備されている。
一帯では、埠頭、砂浜、緑道など、臨海部ならではの立地を活かしての公園を、当初から整備して、緑と自然の多い環境を作り出している。
この東京港の最前線、かつてはゴミの埋立場であった中央防波堤内側埋立地には、現在「海の森」が造成中である。
石原都知事と建築家・安藤忠雄氏の、東京に「水と緑の廻廊をつくる」というプロジェクトの一貫として、この東京湾上に、皇居とほぼ同じ面積の森を作るべく、48万本の苗木を植える計画が進んでいる。
一口1000円の募金と、小学生やボランティアによってドングリの実から育てられた苗が植えられることによってできる「海の森」の事業は、2007年に始まり、10年後には、木が3〜 5 メートルの大きさに育ち、「森」としての様相が見られることが期待されている。
そして30年後には、東京港上の森が完成する予定となっている。


大人気の東京マラソンと期待される東京国体


▲東京マラソン

年を追うごとに参加希望の応募者が増え続けている「東京マラソン」。
次回2010年は、第4回となるが、過去最高の31万人、倍率8,9倍の応募があった。
近年のランニングブームとの相乗効果もあり、「東京マラソン」の人気は膨らみ続けている。
都心の交通を封鎖する困難はあるが、銀座通り、浅草など、トップアスリートとともに、東京のメインステージを走る快感は多くのランナーにとって魅力となっている。
ランナーとして参加できなかった人も含め、ボランティアへの応募も多く、沿道での応援も熱心で、この東京マラソンは、「東京がひとつになる日」として、毎年恒例のものになりつつある。
そしてまた、2013年には、東京で国体が行われる。
54年ぶりに行われる東京国体だが、オリンピックと同じく、このスポーツイベントには、大きな経済効果が期待されている。
そのため平成元年頃からの熱心な招致活動が行われていた。
2013年東京国体は、多摩、島しょ部を中心に開催されるため、メイン会場は調布の味の素スタジアム。
久々に東京で行われる全国的なスポーツイベントによる盛り上がりに期待したい。


2016 年への招致活動が残したもの


▲東京国体、各競技開催予定図(平成25年東京国体パンフレットより)※クリックで拡大表示

石原慎太郎都知事は、11月6日、2020年の夏季オリンピック招致に名乗りを上げる意欲を明らかにした。
2016年のオリンピック招致活動で再認識されたが、東京は、1964年のオリンピックの遺産を多く擁している。
それらが今の東京で活かされていることを実感したからこそ、世界の先進国となった日本の成熟都市である東京で、ふたたびオリンピックが開かれることを望んだのだ。
「世界からつどう」の連載途上、オリンピックというグローバルなイベントが、東京をはじめとして、北京、シドニー、アテネ、ロンドンなどといった都市を変容させる魔力を持っていることを実感した。
1964年の東京五輪から50年以上を経て、ふたたびオリンピックで東京が変わる姿を見てみたい。
ただ、2020年のオリンピックがどうなるかは、今、東京がその開催都市に名乗りを上げたとしてもわからないし、それが決定されるIOC総会のその日においてもわからない。
それが、2016年の東京の命運を見守った体験から言えることだ。


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