東建月報2009年10月号掲載
▲「開催地決定を迎える会」のオープニング

東京、シカゴ、マドリード、リオデジャネイロ−。4都市が横一線に並ぶ大混戦を繰り広げた2016年オリンピック・パラリンピック招致は、「南米での初開催」を訴えたリオデジャネイロの勝利に終わった。招致活動では勝利を収めることができなかった東京だが、“環境”という重要なテーマを投げかけた開催コンセプトは、21世紀の先進的な都市づくりを考えていくうえで非常に意義深いものであった。私たちは今回の招致活動を通じて、どんな有形無形の遺産(レガシー)を得られたのだろうか。

開催都市決定!!



▲コペンハーゲン市庁舎前広場のパブリックビューイングで東京のプレゼンテーションを見守る応援団

10月2日午後11時30分、東京都庁5階の大会議場は異様な熱気に包まれていた。デンマーク・コペンハーゲンで開催されていたIOC(国際オリンピック委員会)総会で、2016年オリンピック・パラリンピックの開催地を決める投票がまさに行われようとしていたからだ。決定の瞬間を見守るためのイベント『2016年オリンピック・パラリンピック開催都市決定を迎える会』の会場は、深夜にもかかわらずスーツに身を固めた関係者約800人で満員の大盛況。招致委員会副会長、東京都副知事らに続いて挨拶に立った招致大使の有森裕子さんが、思わず「こんなに熱い想いが皆さんにあったとは……」と口にするほどであった。
正式な立候補から3年に及ぶ招致活動の軌跡が舞台正面のスクリーンで紹介された後、プロテニス選手でスポーツキャスターとしてもおなじみの松岡修造さんが登場。客席の最前列に並ぶ岩崎恭子さん、吉原知子さん、成田真由美さんらオリンピアン、パラリンピアンのほか、元参議院議員の小野清子さん、作家で東京都副知事の猪瀬直樹さんにマイクを向けながら軽妙なトークで会場を盛り上げた。
現地からの中継映像がスクリーンに映し出されたのは午前零時10分頃。4つの立候補都市に番号を割り振るための抽選を終え、電子投票システムによる第1回目の投票が始まると、会場は水を打ったような静けさに包まれた。
投票終了後、得票数で最下位となった都市名がジャック・ロゲ会長から告げられる。−「シカゴ」。本命と目された有力候補の早々の落選に、会場からは「東京じゃなくてよかった」という安堵感と「よし、行くぞ!」という期待感が入り交じった歓声が上がった。
しかし、そんな喜びもつかの間、第2回目の投票がすぐに始まる。祈るような面持ちでスクリーンを見つめる顔、顔、顔。そんな願いもむなしく東京の落選が告げられると、会場は一転して重たい空気に……。長く厳しかった招致活動に比して、あまりにもあっけない幕切れに感情が追いついていかないが、2016年オリンピック・パラリンピックを東京で開催するという夢は潰えたのだった。
すでにご存じの通り、開催都市の栄光を手にしたのはブラジルのリオデジャネイロ。「南米大陸で初のオリンピック開催」という招致コンセプトは誰にでもわかりやすく共感も得やすかったということなのだろう。だが、「世界初のカーボンマイナス(二酸化炭素削減)五輪」を訴えた東京のコンセプトも、21世紀の都市づくりを考えていくうえで魅力的かつ野心的な試みであった。招致の成否とは関係なく、今後の都市づくりのあり方として目指すべき方向性を示したものであり、今回の招致活動が残した遺産(レガシー)の1つである。
そこで今回は、2016年オリンピック・パラリンピック招致活動が東京に残した遺産について考えていきたい。経験豊かなメンバーとして招致活動を引っ張ってきたキーマン2人に、国内外での成果について具体的に聞いてみた。


国際競争に勝つための招致活動


▲東京の大会開催計画が明記された立候補ファイルをIOC本部に届ける中森さん(右)

「オリンピック開催のためのIOCから要求される技術基準は年々厳しくなっているので、最近の招致活動は国内候補地争いの段階から国際標準を意識した開催計画を立てないと、世界で勝ち抜くのは難しくなっています。約4年前にスタートした今回の招致でも、国内予選に手を挙げた東京と福岡には、最初からIOCのテクニカルマニュアルに基づいて計画を立ててもらいました。その一方で、JOC(日本オリンピック委員会)もプロジェクトチームを結成して2012年大会に立候補した都市をヒアリングし、その勝因と敗因を詳細に分析。スポーツ選手と同様、招致活動も国内レベルを引き上げなければ国際競争に勝てなくなっているんです」
東京オリンピック・パラリンピック招致委員会の事務次長・中森康弘さんは、開口一番、そう切り出した。今回のオリンピック招致では20年に及ぶJOCでのキャリアと人脈を生かし、海外ロビー活動の主役を担ってきた。海外通の中森さんは、『競争の戦略』などの著書で知られるアメリカの経営学者マイケル・ポーターの理論を精力的に取り入れ、熾烈な国際競争の中で日本がどう戦っていくべきかを考えてきたという。
「IOC委員をはじめ海外の人に東京の街の印象を尋ねると、その多くから“現代都市でコンクリートジャングル”との答えが返ってきます。ピエールド・クーベルタン男爵の出身国であるフランスやIOC本部のあるスイスなどヨーロッパの人々にとって、日本は遠いアジアの果てという感覚が未だにあります。実際に来日したことのある人はそれほど多くはなく、東京が水と緑に囲まれた街であることを知らない人が大半です。従って、私の活動も、まずは東京という街について知ってもらい、無機的なイメージを改善することから始まりました」
本来なら1人でも多くのIOC委員を東京に招きたいところだが、接待合戦が加熱することへの懸念から、今は立候補都市への委員の訪問が固く禁じられている。PR活動が認められている世界陸上や世界水泳などの国際大会に赴いて委員に直接面会しアピールする以外には、ロビー活動もままならないのが実情だ。そうしたもどかしさを解消すべく発行された、日本文化と絡ませながら東京の魅力や開催計画を紹介する「マンスリー・レター」は、委員たちの興味を引き好評を博していた。
「IOC委員の中には1964年の東京オリンピックに出場した選手、メダルを取った選手がいるのですが、彼らはみな“64年の東京大会は素晴らしかった”と言ってくれます。98年の長野オリンピックも大会運営能力や地元の人々のホスピタリティーの面で非常に高い評価を得ており、2016年大会も東京なら完璧に実現できることは衆目の一致するところです。ただ、IOCにとって最も重要なのは“東京で大会を開催することによって、将来のオリンピック・ムーブメントにどのような効果があるのか”という点です。この点では私たちの思いとIOCの考えには若干ギャップがあったので、これを埋めつつ東京のよさを知ってもらうことがロビー活動の最大のポイントでした」
106人(うち2人は日本人)いる委員一人ひとりの思惑をくみ取ることも中森さんたちの重要な仕事だった。彼らは各国のオリンピック委員会、競技団体、アスリート、個人の4つの区分から選出されており、出身区分や個々の背景によって大会に求めるものが違ってくる。たとえば各国オリンピック委員会出身の委員は、自分の国の選手団を東京がいかに条件よく受け入れてくれるのか、事前のトレーニング環境や食事はどうなのかを重視するし、アスリート出身の委員は出場する選手の目線に立ち、パフォーマンスを発揮しやすい環境づくりや大会運営を求めてくる。日本人を除く104人の委員それぞれに、細部まで目の行き届いたいわばテーラーメイドのロビー活動を行い、短い面会時間の中で“心に響く言葉”をどれだけ伝えられたかが勝負になるのである。
「心に響く言葉を発するためには、各委員のキャリアやこれまで携わってきたスポーツ、家族構成、どんな人とのつながりが深いかといった人間関係も重要です。これは複雑怪奇に絡み合う糸をほどくような作業です」


招致活動が残したレガシー


▲IOC評価委員会来日に伴う記者会見に登壇した藤原さん

翻って、国内での成果はどうか。オリンピック開催に対する世論の支持の低さがネックといわれた東京だが、これを跳ね返すほどの遺産は得られたのだろうか。
92年のバルセロナ大会からNHKのプロデューサーとしてオリンピックに携わり、昨年の北京大会では放送機構部長を務め、今年になって東京オリンピック・パラリンピック招致委員会に加わった企画・広報担当シニア・エグゼクティブ・オフィサーの藤原庸介さんはいう。
「オリンピックというのは単なるスポーツイベントと思われがちですが、計画を見てもらえばわかる通り、大会や選手村のオペレーション、輸送、セキュリティー、環境、輸出入や関税……と様々な産業分野にまたがる裾野の広いイベントです。招致に向けてみんなで一丸となって計画を練ってきたことは、ハードとソフトの両面で大きなレガシーになっているんですよ」
ハード面でいえば、圏央道、外環道、中央環状の3つの環状道路の整備が決まったことが一番の成果だと藤原さんはいう。64年の東京オリンピック開催で首都高速道が整備されたが、これだけでは将来の交通需要に耐えられない。首都圏道路網の骨格として“3環状9放射”が約40年前に計画され、東名、中央、関越、東北などの放射方向の高速道路は順調に整備されてきたが、環状方向の高速道路は用地買収が難航したこと等で遅れに遅れ、都心環状線の慢性的な渋滞を引き起こしてきた。その3環状の建設が2016年のオリンピック招致活動によって背中を押され、ようやく前に進み始めたのだ。
「共同溝を整備して都内の電柱を地中化し、電柱があった場所に木を植えよう。これによって都内の街路樹を今の2倍の100万本にしよう……という石原都知事のアイデアも、2016年の招致活動から出てきた話なんです」
開催地に決定していれば、技術面でのインパクトも大きなものになったはずだ。64年の東京オリンピックは新幹線の開業が話題になったが、藤原さんによれば放送技術でも大きな進化を遂げたという。たとえば、大リーグで活躍する日本人選手の姿をリアルタイムで映し出してくれる衛星中継。これは東京オリンピックの開会式で世界で初めて実現した技術だった。ハイライトシーンをスローモーションで再生するスローVTRや、スタートからゴールまで42.195キロを追い続けるマラソン中継も64年大会で生まれたもので、まさに“テレビ・オリンピック”の先駆けとなった。
「オリンピックがなかったとしても、いずれ開発されていた技術だったと思います。でも、オリンピックがなかったとしたら、何年遅れていたことか!」
これを2016年に置き換えて考えるとしたら、環境技術の進化だったろう。オリンピックスタジアムの屋根に太陽光電池パネルを貼って電気需要を賄うとか、環境負荷の少ないハイブリッドや燃料電池を使ったバスを会場内に走らせることになれば、環境技術の需要は一気に拡大して値段が下がり、一般レベルまで普及していく可能性は高かった。
一方、ソフト面で収穫があったのは教育現場への広がりだ。招致活動を夏休みの研究テーマにしようという中学生や高校生が全国から招致委員会を訪ねてきたり、選手村の設計を手がけようという意欲的な大学生グループも現れた。東京都では小・中・高校生向けに『オリンピック学習読本』が制作され、オリンピック・ムーブメントへの理解を深めてもらう取り組みも行った。小学校5年生のときに64年の東京オリンピックを間近で体験し、少年時代の感動と興奮を今でもはっきりと記憶しているという藤原さんは、次代を担う子供たちがオリンピックについて考えるまたとない機会になったという。
「オリンピックが実際に開催されることになれば、街には選手が約1万人、役員が6000〜7000人、テレビとプレスを合わせたメディア関係者が2万人強、ボランティアが7万〜8万人という規模で集まってきます。これに警備を担当する警察官や会場内を走るシャトルバスの運転手、公共交通機関の職員、観戦客まで合わせると、膨大な数の人たちがオリンピックに関わることになる。立場や役割はそれぞれ違っても、“オリンピックを成功させよう!”という1つの目標に向かってみんなで努力し協力し合うことが、どれだけ国と国民を元気にすることか。その意味で、オリンピックは人に対するインパクトも非常に大きいんです」
今回の招致活動においても、目標を共有したスタッフの仕事への取り組み方に大きな変化があったという。
「宿泊担当のスタッフは観戦客のことを考えて、(少しでもリーズナブルな宿泊施設を提供するため)“大会期間中の宿泊費はこの値段に抑えてほしい”と自分たちの責任でホテルに頼んで回っていましたし、輸送担当のスタッフはオリンピックスタジアムの最寄りとなる勝どき駅の拡幅について警視庁と徹底的に話し合っていました。みんなで1つの目標に向かって協力し合う場があれば、各自が責任を持って働き、人間は自ずと育つはずです」(藤原さん)


2020年への再挑戦

2016年開催の夢は潰えたけれど、2020年の招致に再挑戦しようという声もあちらこちらから聞こえてくる。パラリンピアンの代表として9月号で取材し、招致委員会のアスリート委員として『2016年オリンピック・パラリンピック開催都市決定を迎える会』にも参加して投票を見守った成田真由美さんはいう。
「今回の結果は残念だったけれど、招致活動のおかげでパラリンピックへの国民の理解も広がりました。よりよいバリアフリー社会を目指すため、ぜひ2020年の招致も目指してほしいです」
はっきりと目に見える成果につなげられなかったのは残念だが、今回の招致活動によって国外と国内、ハードとソフトの両面で得た“遺産”は一人ひとりの心の中に確実に蓄積されている。これらをどう今後の都市づくりに生かしていくかは、東京都の手腕やそれを支える私たちの総意にかかっているのである。


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