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近年、身体障害者を対象とした世界最高峰のスポーツの祭典としてすっかり定着したパラリンピック。10月2日のIOC総会で2016年のオリンピック開催地が東京に決まれば、パラリンピックも開催されることになり、一般市民の障害者スポーツへの関心も今まで以上に高まることは間違いない。
そこで今回は、9月11〜13日に東京で開かれた「東京2009アジアユースパラゲームズ」の話も織り交ぜながら、パラリンピックを東京で開催することの意義とその魅力について、あらためて考えてみたい。

▲日本選手団による結団式の様子
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身体的な障害がありながらもスポーツに真剣に取り組む選手たちが、4年に一度、技術とスピードを競う晴れ舞台になっているパラリンピック。もともとは第2次世界大戦で脊髄を損傷した兵士たちのリハビリの一環として、イギリス・ロンドン郊外の病院に勤めていた医師の発案でアーチェリーの競技会を行ったことが始まりといわれており、1952年には国際大会に発展した。1960年のローマオリンピック後には同じイタリア国内でパラリンピックが開催され、1988年のソウルからはオリンピック終了直後に同じ場所と施設を使って開催されるようになった。
当初は車椅子を使った競技が対象だったことから、「対麻痺の、半身不随の」という意味のParaplegicとオリンピックの造語として“パラリンピック”という言葉が生まれたが、競技者数が増えて出場を許可される障害の枠が広がると“もう1つのオリンピック”との認識が高まり、「類似した」という意味のParallelとオリンピックの造語として広く使われるようになった。以前は障害別にバラバラに組織されていたスポーツ団体も、1989年に設立された国際パラリンピック委員会(IPC)に運営が一本化され、障害を克服するためのリハビリテーションスポーツからアスリートによる競技スポーツへと進化を遂げてきた。
パラリンピックに参加する国や選手の数も回を重ねるごとに増えており、アテネでは135カ国・地域の3,808人だったが、昨年の北京では146カ国・地域の3,951人になっている。夏季の大会では陸上や水泳をはじめ、柔道、卓球、馬術、パワーリフティング、車いすテニス、車椅子バスケットボール、車いすフェンシング、シッティングバレーボール、ボッチャ、ゴールボールなど、全20競技472種目が実施されるまでになっている。
日本でも1998年に行われた冬季の長野パラリンピックで日本人選手たちの活躍が連日テレビ報道されたのがきっかけで、一般の人たちの間でも障害者スポーツへの関心が高まった。水泳の成田真由美選手や河合純一選手、冬はアイススレッジ、夏は陸上でマルチに活動する土田和歌子選手、今年になってプロ宣言をした車いすテニスの国枝慎吾選手らトップアスリートをはじめとする選手たちの活躍は、人間の限界に挑戦するという意味で一般の競技スポーツ以上に見る者に感動を与え、強い印象を残している。
パラリンピックがもたらす効果
そうした状況の中で、2016年オリンピック・パラリンピックの招致本部は、東京でパラリンピックを開催することのメリットをどのように考えているのだろうか。東京都の招致推進部副参事としてパラリンピックを担当する澤崎道男さんに聞いてみた。
「これはオリンピックも一緒なんですが、私たちが招致活動で使っているキャッチフレーズは『ヒーローたちの檜舞台』です。朝霞が会場になっている射撃を除けば、すべての競技会場が選手村から半径8キロ圏内にコンパクトにまとまっているので移動の負担が非常に少ないですし、選手村もエレベーターの待ち時間をできるだけ減らす階層割を計画しています。さらに食堂では、日本の豊かな食文化をベースに各国のおいしい料理を用意し、自分の家にいるような快適な環境を提供する予定です。競技以外のストレスを極力排した会場計画と充実したサービスを提供することで、大会期間中は選手にとって最高の競技環境を整える。その結果としてメダルを取ったり自己ベストを更新するなど、選手には生涯最高のパフォーマンスを発揮してもらいたい。国内外からやってくる観客の皆さんに対しても、東京がユニバーサルデザインに配慮したすべての人にやさしい街であることをアピールしたいと思っています」
競技性が高まれば高まるほど、選手にはストレスフリーで競技に専念できる環境が必要になってくる。それに見合う準備が東京にはある、というわけだ。
こうした環境づくりとともに海外に向かって訴えているのが、1964年東京パラリンピックのレガシーだ。当時はオリンピックとパラリンピックを同一都市で開催する決まりはなかったが、1960年のローマ大会で行った方式を踏襲する形で東京オリンピックに続いてパラリンピックが開催されている。1968年メキシコ大会から1984年ロサンゼルス大会までは、それぞれ別の都市でパラリンピックが行われているが、1988年ソウル大会からは再びパラリンピックもオリンピックと同一都市で開かれており、開催ごとにパラリンピックに対する認識は広がっていった。
日本では東京でのパラリンピック開催を機に日本障害者スポーツ協会も組織され、“障害者の国体”である全国障害者スポーツ大会が国体と同じ県で毎年開かれるようになっている。澤崎さんいわく、「1964年から引き継がれてきた障害者スポーツのレガシーも東京ならではの強み」であるという。
みんなで楽しめるバリアフリースポーツ

▲障害者と健常者が一緒になって車椅子バスケットボールを楽しむ様子
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こうした真摯な取り組みを国内外にアピールする場になったのが、9月11〜13日に開催された「東京2009アジアユースパラゲームズ」だ。アジア地域の14〜19歳までの若い選手を対象にした障害者スポーツの大会で、いわばミニパラリンピックである。アジア・太平洋地域の障害のあるアスリートたちの大会であるフェスピック競技大会(アジアパラゲームズの前身)のユース版として2003年に香港で初めて開催され、2016年のオリンピック・パラリンピック招致に動き出した東京が2007年秋に名乗りを上げたことで、6年ぶり2回目の開催となった。
この大会を統括した東京都福祉保健局障害者施策推進部副参事の岩谷智子さんは、通信事情のよくない国々との連絡調整に苦労しながらも、大会直前には次のように期待を語った。
「アジア限定のユース大会ではありますが、東京では1964年の東京パラリンピック以来、45年ぶりの大規模な障害者スポーツの国際総合大会の開催となります。今回はパラリンピックで実施される20競技のうち、前回の香港大会の参加状況を考慮してアジアで広く参加してもらえそうな6競技に絞り込み、アジアパラリンピック委員会に加盟する40カ国・地域のうち、27カ国・地域から約900人の選手と役員が参加してくれることになっています。香港大会は15カ国・地域の480人でしたから、ほぼ2倍の規模ということになりますね」
今回実施されたのは陸上、水泳、卓球、ボッチャ、ゴールボールの5競技で、オープン競技として車いすテニスが行われた。障害者スポーツ特有の競技であるボッチャやゴールボールは多くの人にとってなじみのない競技だろう。
「ボッチャは体育館で行うカーリングのような競技なんですが、遠くに描かれた円の真ん中にストーンを投げ入れるカーリングとは違い、ターゲットボールと呼ばれる白いボールを最初に投げ、それに一番近い位置に赤と青のボールが転がるように対戦者同士が投げ合う競技です。ターゲットボールに一番近い位置にあるボールをラウンドごとにカウントし、6ラウンドの合計で得点を競います。重度の肢体障害者が対象なので、選手は全員車椅子。4つのクラスに分かれていて、最も障害が重い脳性麻痺の選手はボールを投げられないため、傾斜のついた道具(ランプス)を使って競技するんですよ。選手は何種類かのボールを持っていて、相手のボールをはじき飛ばすときには硬いボール、ターゲットに寄せるときは柔らかいボールというように使い分けています。日本選手権ではオープンクラスもあって脳血管障害の後遺症を抱える人もプレーしていますし、ヨーロッパでは健常な高齢者もプレーしています。誰もがプレーを楽しめるバリアフリーな競技なんですよ」と語るのは、アジアユースパラゲームズでボッチャを担当した障害者国際スポーツ課の村松亘さんだ。対戦形式は個人戦のほか、2対2のペア戦、3対3のチーム戦があるという。
一方、ゴールボールは視覚障害者のために開発された球技で、1チーム3名の選手がアイシェード(目隠し)をつけて鈴の入ったボールを転がし、音を頼りにコートを動き回り敵陣のゴールを目指す。全員がアイシェードをつけるので、これまた健常者も一緒に楽しめるバリアフリースポーツだ。
「今回は1964年のオリンピックとパラリンピックの遺産である国立競技場や代々木体育館を会場として使用し、選手村も国立オリンピック記念青少年総合センターを利用しました。いずれもトップアスリートを目指す人にとって、歴史と伝統を感じる由緒ある施設。そこでプレーすることは励みになると思うんです。7年後の2016年には脂の乗った選手として活躍するであろう世代ですから、ぜひレベルアップを目指して頑張ってほしい」(岩谷さん)
障害者スポーツはクラス分けをすることでみんながほぼ平等な条件で競えるように工夫されている。年を取れば誰しも若い頃のようには体が動かなくなることを思えば、高齢化社会を迎えた今日、障害者スポーツをみんなで楽しみ考えることは、ますます重要になってくるだろう。
みんなの意識が変わるきっかけに!
そんなことも視野に入れつつ、招致本部の澤崎さんは次のように言う。
「2006年に東京都が発表した街づくりの構想『10年後の東京』の中には、誰もがスポーツに親しめる環境を整備すると同時に、障害のある人も自由に出歩けるようなユニバーサルデザインで設計された街にしていきましょうというものがあります。すでに都内にある鉄道駅の87%にはエレベーターが設置されていますし、ノンステップバスの導入率も72%に達していますが、100%を目指さなくてはなりません。これはオリンピック・パラリンピック招致の成否とは関係なく実現すべき課題ですが、大会を招致できればさらに動きが加速されると思うんです。もちろんハード面が整えばよいわけではなく、駅前から点字ブロックが整備されているのに、その上に自転車が放置されている光景はしばしば目にするところです。でも、バリアフリー化が進んで多くの障害者が街に出てくるようになれば、一般市民の意識や心遣いも変わるはず。パラリンピックを東京に呼ぶことで、みんなの意識を変えるきっかけにしたいんです」
2016年オリンピック・パラリンピック招致は、東京をユニバーサルデザインの先進都市として世界に売り込むチャンスでもあるのだ。
東京オリンピック・パラリンピック招致委員会
アスリート委員会副委員長/パラリンピアン
成田真由美さん
下半身麻痺のハンディを負いながらも水泳選手として活躍し、アトランタ、シドニー、アテネ、北京の4つのパラリンピックに連続出場し、通算15個の金メダルを獲得してきた“水の女王”成田真由美さん。「障害者スポーツへの理解をもっと深めてもらいたい」との思いから、年齢別で競い合うマスターズ大会に、一般スイマーといっしょに一人のスイマーとして積極的に参加し、全国各地を講演して回る彼女の目には、東京パラリンピックの招致計画はどのように映っているのだろうか。率直な感想を聞いてみた。
競技会場が選手村から半径8キロ圏内にまとまっている東京の招致計画は、確かに選手の負担が軽くなると思いますよ。北京大会の水泳会場は選手村からそれほど遠くなかったので助かりましたが、離れた会場で競技する選手たちは、朝早く出て夜遅く帰ることもザラ。大きな国際大会ではセキュリティチェックにも多くの時間をとられるので、本当に疲れます。もし私が選手として出場するなら、東京はすごく心地いいだろうなと思います。
選手村の中にはアスリートが競技を離れてリラックスできるよう、ゲームセンターや美容室、宗教施設など様々な施設がそろっているんですが、私が出場する水泳の場合、大会期間の10日間フルに試合が組まれているため、自分が出場しない日も仲間の応援に行かなくてはなりません。現地で観光を楽しむ時間はもちろん、選手村の施設を堪能するヒマもないのが実情です。その意味で、食事はリラックスする場としてとても貴重なんですが、これまで私が出場した大会の選手村の食堂はいずれも窓がなく、閉塞された空間でした。
その点、東京が考えている選手村の食堂は、大きな窓があって海を望みながら食事ができる開放感あふれるつくりになっています。これはすごくいいですね。アミューズメント施設の充実を図ることも大事ですが、食事は1日3度のこと。その環境の善し悪しも、選手にとっては非常に大きな問題です。
東京はよく「バリアフリーが進んでいる」と言われますが、まだ100%ではありません。先日、仕事でホテルに行ったときも、最寄り駅にエレベーターがなく、駅員さん4人におみこし状態で担いでもらわなくてはならず、肩身の狭い思いをしました。乗降客の多い駅にも、エレベーターがいまだについていないんですよ。2016年のオリンピック・パラリンピックが東京で開催されることになれば、エレベーターなど設備の充実が加速されるじゃないですか。そうなれば、東京が完全なバリアフリーの街に近づくことができると思うんです。
こうした問題は障害者だけのことと思っている人もいるかもしれませんが、人は年を取れば誰でも障害者になるんです。早いか遅いかだけの違い。健常者にも「真剣に考えて」と言いたいですね。
私が家の近所でスイミングクラブを探したときも、車椅子だという理由で6ヵ所から断られました。7ヵ所目で今のクラブとコーチに出会ったんですが、施設自体はバリアフリーでも何でもない。たまたま古い建物なので地上に駐車場があって、フロント、更衣室は1階ですが、筋力トレーニングをやる部屋は2階にあります。エレベーターがないので私がためらっていると、「オレたちがおんぶするからいいよ」とコーチが言ってくれて救われました。
今ではクラブの仲間も、私が通うようになったことで車椅子の人と自然に接してくれるようになりましたし、子供たちは「成田さん=パラリンピックの選手」と見てくれていて、心強い応援団です。
また、常々感じているのですが、パラリンピック選手とオリンピック選手では、試合や練習に参加する環境にも差があります。
経済的には、強化指定選手には補助金が出るとはいうものの、パラリンピックの選手は世界選手権に出るためには遠征費を自己負担しなければなりません。北京パラリンピックのときは自分たちでジャージをそろえ全部で15万円かかりました。仕事をしてある程度の収入を得ていないと、試合や合宿に参加することすらできません。選手の間から“パラ貧乏”って言葉が出たぐらいです。
東京にパラリンピックが来たら、多くの日本人が障害のある人たちにやさしくなるチャンス。障害者とか健常者といった意識がなくなるといいなと思っています。
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