東建月報2009年7月号掲載
▲ICチケット見本


▲オリンピックルートネットワーク

2016年夏季オリンピック・パラリンピックの開催を目指す東京の招致活動は、国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会の現地視察も終わり、いよいよ最終コーナーにさしかかった。大規模なイベント開催ではとかく物質的な経済効果にばかり注目が集まりがちだが、忘れてはならないのが“心の経済効果”。世界最高峰のアスリートたちが死力を尽くして競い合う姿が私たちに感動を与えるのはもちろんだが、世界各国から集う観戦客との交流や祭典を通じて醸成される街の一体感は、オリンピックならではのものだ。
そこで今回は、4年に1度の夢舞台が東京でどのように演出されるのかを、具体的にイメージしてみることにしよう。

スポーツ観戦は競技会場に足を運び、生で見るのが一番だ。選手たちの緊張感や闘志、息づかいまでがリアルに伝わってきて、見る者を興奮のるつぼに誘い込む。観客席の応援シーンにもそれぞれのお国柄が表れ、いやがおうにも気分を盛り上げてくれる。これはテレビ観戦では味わえない醍醐味だが、東京でオリンピックが開催されたなら多くの人がこの醍醐味を味わうことができる。地元開催の一番の魅力だろう。
「オリンピックが開催されたら、交通量が増えて都内の渋滞がますます激しくなる」と心配する声をよく聞くが、競技観戦の足となるのは電車中心とした公共交通機関。とくに都内は地下鉄網が発達しているので、自家用車やタクシーを利用するより電車の方がはるかに便利である。
IOCでは近年、公共交通機関の利用促進と観戦客の利便性を高める狙いから、開催都市には観戦当日の公共交通機関の無料化を実現するよう求めている。観戦チケットを持っていれば、試合当日は一日中公共交通機関がタダで利用できるというもので、シドニー、アテネ、北京などですでに実施されている。競技会場まではもちろん、市内観光を楽しむ際にも観戦チケットを改札で見せれば乗り降りは自由。非常に好評を得ている観客サービスだ。
「東京での開催が決まれば、私たちもこのサービスを実施するのは当然のことと考えています」
そう語るのは、東京オリンピック・パラリンピック招致本部の招致推進部で情報技術を担当する齋藤昇氏だ。現段階では無料化の範囲を都内に限るのか、首都圏全域に広げるのかはまだ決めかねている状況だが、開催が実現すれば都心の地下鉄やバスがフリーパスになるのは間違いない。
ただし、東京でこれを実現するには相応の技術が必要だ。シドニーやアテネでは駅の改札や車内で観戦チケットを見せるだけの単純な仕組みだったが、自動改札化が進んだ都内の駅では通り抜けが難しいうえ、セキュリティの面でも不安が残る。北京では自動改札機の脇にいる係員に観戦チケットを見せて1回ごとに乗車券をもらう方式だったが、利用客が集中する試合前後の時間帯には長蛇の列ができて不評だった。
そこで東京は、観客の利便性と安全性を考えて2つのチケット方式を採用することにした。
「1つは紙製の従来型チケットにICタグを内蔵して観戦日の情報を入れておく方式。このチケットを改札機の読み取り部にタッチすれば、スイカやパスモと同様に改札を通過できます。もう1つは、スイカやパスモと同様のカードを観戦チケットにしてしまう方式。このカードは発行の際に500円のデポジット(預託金)がかかるので5000円の入場券なら5500円になってしまうんですが、記念になりますしオリンピックが終わった後もスイカやパスモとして利用できます。今日は水泳、明日は柔道と複数の競技を観戦する場合も、1枚のカードにすべての情報が入ってしまうので便利です。また、スイカやパスモはコンビニでも使えるため、オリンピックのスポンサーであるVISAと提携してクレジットカードからチャージできるようにしておけば、小銭を持つことなく飲み物などのちょっとした買い物もできる。これは海外から来る人にとって便利な機能ではないでしょうか」
4月に現地調査でやってきたIOC評価委員会のムータワキル委員長にも、東京ビッグサイトからパスモでゆりかもめに乗ってもらったところ、レスポンスの早い自動改札システムに感激していたという。

“デジタル情報板”でルート案内


▲デジタルサイネージ

公共交通機関の利便性をさらに高めるため、東京都はJRや地下鉄など都内の760の駅に『デジタルサイネージ』と呼ばれるデジタル技術を使った街角の情報板をくまなく設置する予定だ。大会期間中はこの情報板に観戦チケットをタッチすると、チケットに内蔵されたタグの情報を読み取って「今日の午後4時から男子レスリング○キロ級。場所は東京ビッグサイトです」と会場までのルートを案内してくれる。その情報はプリントアウトして持ち歩けるようになるという。
「このデジタルサイネージが従来の装置ともっとも違う点は多言語であること。単純な言葉を多言語化するのはそれほど難しくないので、英語、フランス語、中国語、韓国語のほか多様な言語にも対応する予定です。そのチケットがアラブ諸国で購入されたものなら、その情報を読み取ってアラビア語で表示することが可能ですし、その場で表示する言語を選ぶこともできます。都内の地下鉄は複雑なので、母国語で案内すれば外国人にとってかなり便利なツールになると思いますよ」
デジタルサイネージには大量の情報をインプットできるので、大会期間中は各競技の試合結果や当日の組み合わせなどもこまめに入力する予定だ。開催国で人気のないマイナー競技は現地のテレビや新聞が取り上げないので情報を得るのが難しいが、この情報板を使えば気になる競技や選手の結果を誰もが簡単に取り出せる。これは齋藤氏自身が北京オリンピックに行ってみて、日本選手の情報を入手できなかったことから必要を実感したサービスなのだという。
「デジタルサイネージは都内の観光スポットも案内しますので、行きたい場所を入力すれば目的地までのルートを表示してくれます。当日の競技チケットを利用すれば交通機関はタダなので、試合観戦後に浅草寺に行って観光したいとか、東京ミッドタウンで食事したいという場合にも、手軽に東京観光を楽しむことができます」
実はこのデジタルサイネージ、オリンピック用に企画されたものではない。観光立国を目指す政府観光局の「ようこそ!Japan」キャンペーンではないが、観光都市としての東京を「ようこそ!Tokyo」とばかりにアピールしようという都の政策の一環。オリンピックの開催を機に設置計画を一気に加速させ、「観光しやすい東京」を認知してもらうことで海外からの観光需要を喚起させる狙いだ。高尾山など外国人に人気の高い観光スポットを交通機関の無料化とうまく連動させることができれば、東京の新たな魅力を海外に発信するきっかけになるだろう。

先端技術でストレスフリーの競技観戦

「いつでも、どこでも、だれでも」恩恵を受けることのできるこうした技術は『ユビキタス』と呼ばれるが、このネットワークづくりには日本の情報工学の第一人者である東京大学の坂村健教授に協力を仰いだ。一般の人が快適に観戦するのに役立つだけでなく、高齢者や障害者も一緒に大会を楽しめるよう、バリアフリーの分野にも先端技術が生かされている。
その1つが、足の不自由な人や高齢者に貸し出す予定の『シニアカー』である。ナビゲーションシステムを搭載したハンドルつきの電動車いすで、トイレに行きたい場合には「最寄りの身障者用トイレ」というボタンを押すと、段差のないルートを選択しながら音声で誘導してくれる。自分で運転したい人は、ハンドルを握って走らせることもできるスグレモノだ。
視覚障害者向けのツールとしては、チップを埋め込んだ白杖を使って点字ブロック上を歩いていくと、競技会場までの道案内をしてくれるシステムを開発。首からぶら提げたコミュニケーター(情報端末)に点字ブロックから位置情報が送られ、「まっすぐ進んでください」「左に曲がってください」とガイドしてくれるので、他人の助けを借りることなく目的地にたどり着くことができる。こうしたバリアフリー技術は、オリンピック直後に開催されるパラリンピックでその威力を大いに発揮してくれることだろう。
ところで、オリンピックのような一大イベントでもっとも懸念されるのがセキュリティ対策である。人が多く集まる競技会場や主要な駅はテロの標的になりやすいため厳重な警備が敷かれるが、会場入口で行われるセキュリティチェックは観戦客のワクワク感をそいでしまううえ、入場までに長時間待たされることが多く、大きなストレス要因になりがちだ。
そこで東京は安全性と快適性を両立させるため、日本のメーカーが開発中の『ウォークスルーセキュリティ』というシステムに注目している。これまで探知が困難だった爆発物の痕跡を、ゲートを通過した瞬間に検知し分析するという画期的な装置で、2〜3年後には実用化する見込みという。拳銃やナイフなどの凶器は従来の金属探知機でチェックできるので、この2つを組み合わせればスピーディーにストレスなく安全確保が可能になる。難解な技術を意識することなくだれもが快適で安全なオリンピックを楽しめるという意味で、まさに究極のユビキタスといえるかもしれない。

“おもてなしの心”と技術を融合

ハイテク技術を駆使して大会をサポートする一方で、大会を彩る文化イベントも充実させる予定だ。まだ具体的な内容までは決まっていないが、東京オリンピック・パラリンピック招致本部で広報を担当する江間俊哉氏は次のように語る。
「競技会場以外でもオリンピックを楽しめるよう、都庁や代々木公園、皇居周辺など都内8か所に『ライブサイト』と呼ばれる広場を設ける予定です。ここでは大型ビジョンを使ってみんなで競技観戦を楽しむパブリックビューイングを行うほか、日本ならではの文化イベントを多数用意してお祭りムードを演出し、都内全域で大会を盛り上げていくつもりです」
2004年のアテネでは、古代の衣装を着てソクラテスの生涯をたどるツアーなどユニークな文化イベントが数多く企画され、海外からの観戦客はもちろん、日頃はスポーツに興味のない人たちもオリンピックを楽しむことができた。文化イベントにも工夫を凝らし、多くの人々をお祭り気分に巻き込むことができれば、東京という街の好感度をアップさせる原動力になるだろう。
「日本が技術立国だからといって、技術に走った演出をしすぎると海外の人には敬遠されてしまいます。今ある日本の先端技術をいかにオリンピックに活用するかを考えつつ、日本特有の“おもてなしの心”と上手に融合させ、自然体で快適な演出を心がけることが大会を成功に導くための重要なポイントだと思っています」
という齋藤氏。オリンピックの開催は、観光都市としての東京の実力を計る絶好の機会でもあるのだ。


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