東建月報2009年6月号掲載


▲嘉納治五郎(提供 財団法人講道館)

開催都市決定まで4カ月を切った2016年オリンピック・パラリンピック招致。大会計画や治安、インフラ整備などの面で高い評価を受ける東京は、シカゴ、マドリード、リオデジャネイロら他の立候補都市とともに招致活動の大詰めを迎えている。今号は、機運の盛り上げに全力を注ぐ東京オリンピック・パラリンピック招致委員会に、オリンピック招致に、オリンピック招致に半生をかけた嘉納治五郎師の足跡をたどっていただきました。

東京が2016年のオリンピック招致に成功すれば、1964年に次いで2度目の大会となる。しかし、それ以前の1940年に、東京でオリンピックが開かれようとしていたことをご存知だろうか。
この幻の東京でのオリンピック招致を成功に導いたのは、柔道家で教育者でもあった嘉納治五郎。国内外で柔道の普及に努め、日本の体育の礎を築いた人物として知られている。
嘉納はアジア初のIOC委員としてオリンピック運動に貢献するとともに、晩年は東京へのオリンピック招致に全身全霊を傾けた。ヨーロッパ発祥のオリンピックと日本を結んだ日本オリンピックの父、嘉納の功績に迫る。

国の威信をかけた東京オリンピック

1964年(昭和39年)10月10日。前日の大雨がうそのように上がった秋晴れの国立霞ヶ丘競技場で、東京オリンピック(第18回夏季オリンピック)が華々しく幕を開けた。
抜けるような青空に、航空自衛隊のブルーインパルスが五輪のマークを描く。歓喜に沸くスタンド。93の国と地域から集まった誇らしげな選手たち。競技場にそびえる聖火台では、勢いよく燃え盛る聖火が開会式を見守っていた。
1964年の東京オリンピックは、アジアで初めて開かれた大会だ。同時に、戦後復興後の日本が国際社会への復帰をめざすための国家プロジェクトに位置づけられ、参加者も当時史上最多の5,151人(うち日本選手は357人)を集めた。
その後、世界でも類をみない、大規模なスポーツイベントに発展したオリンピック。その歴史をたどると、政治的、経済的な理由で存続が危ぶまれた時期もあったが、近年では経済効果や外交的なメリットへの期待から、招致を希望する都市が後を絶たない。だが、国内外におよぶ招致活動は複雑を極め、2016年の開催をめざす東京も奮闘に次ぐ奮闘を重ねている。
その東京はかつて、1964年以前にも招致を成功させたことがある。「幻のオリンピック」と呼ばれる1940年(昭和15年)の大会だ。成功に導いたのはアジア初のIOC(国際オリンピック委員会)委員で、柔道家・教育者としても知られる嘉納治五郎である。

幻のオリンピックと嘉納治五郎


▲講道館本館1階に立つ嘉納治五郎氏の銅像

1940年の東京大会が「幻のオリンピック」といわれる理由は、日中戦争の激化により政府が開催権を返上してしまったからだ。招致に奔走した嘉納治五郎が亡くなった、わずか2カ月後のことだった。
嘉納は1938年(昭和13年)5月4日、エジプト・カイロで開かれたIOC総会の帰り道、現在は横浜港に繋留されている氷川丸の船中で肺炎にかかり、命を落した。享年77歳。その生涯に幕を閉じる瞬間まで、東京オリンピックの実現を気にかけていたという。
日本人の嘉納が、なぜIOCの一員になり得たのか。それは、「近代オリンピックの父」と称されるピエール・ド・クーベルタン男爵の働きかけがあったからにほかならない。第2代IOC会長を務めたフランス人貴族のクーベルタンは、スポーツを通じて青少年を教育するという理念に燃える教育者で、オリンピックを近代に復活させた人物である。
一方の嘉納も、学習院の教頭や東京高等師範学校(現在の筑波大学)の校長を務める他、青少年の精神強化を目的とした講道館柔道を確立。教育の一環にスポーツを取り入れるという点でクーベルタンの思想と相通じていた。中でも嘉納が講道館柔道の基本理念に据えた、心身のすべての力を最大限に生かし社会のために使う「精力善用」、相手に感謝し、共に成長していく「自他共栄」という考え方は国境を越えて、同じ教育者であるクーベルタンの心をとらえた。

精力善用、自他共栄

オリンピックの人気競技の一つである柔道は、1964年の東京オリンピックで正式種目に採用された。このときは男子のみで、女子は1992年バルセロナ大会からと意外にも最近である。
柔道とは、日本古来より主に護身術として伝承されてきた「柔術」を、人を倒す手段ではなく、精神を強化し育成する「道」として編み出したものだ。
これを実践する場として1882年(明治15年)、「講道館」を創設。自身の体が160cm程度と小さかったこともあり、体の小さな者でも大きな相手に逆らわずして勝つ「柔よく剛を制す」の理論を強固にし、さらに勝利至上主義ではない人間教育の手段として柔道の普及にあたった。
柔道の修行を通じて身につけた力のすべてを社会のために使う「精力善用」、己の技を磨かせてくれた相手とともに成長する「自他共栄」という教えは、戦争が絶えない世の中にあって、世界に誇れる立派な日本人を育て、世界平和を実現したいという嘉納の願いのあらわれだった。そしてそれは、スポーツを通じて肉体と精神のバランスのとれた人間を育てること、人種や宗教などの壁を乗り越え相互理解を深めることが世界平和につながると信じてやまないクーベルタンのオリンピズム(オリンピックの精神)と合致した。
IOC本部のあるスイスと日本という離れた場所で、教育に燃える二人が結びついたのは、必然だったといえるだろう。

嘉納の外交手腕


▲ベルリンでの実演指導(提供 財団法人講道館)

1860年12月9日(万延元年10月28日)、現在の兵庫県に生まれた嘉納治五郎は13歳のとき、明治政府に招請された父親とともに上京した。上京後は書道や英語などを学び、1877年(明治10年)、東京大学に進学。柔術は、生まれつきの虚弱体質を克服しようと東大在学中に始めたものだった。
嘉納の英語は読み書きとも、実に見事だった。クーベルタンからの依頼で、嘉納を推挙した当時の駐日フランス大使ジェラールのクーベルタンに宛てた手紙の中でも、嘉納が正確な英語を話すことが記述されている。実際、嘉納にはヨーロッパでの留学経験があり、英語の私塾を開くなどの実績もあった。
また、語学力だけでなく、交渉力にも長けていたようで、1940年の東京招致を成功させるために、最有力と目されていたイタリア・ローマの立候補を取り下げるよう画策したのは有名な話だ。
さらにIOCに対しては、それまで欧米でしか開催されていなかったオリンピックをアジアで開くことで、オリンピックが真に世界的な文化になると説得。諸外国から日本までは渡航日数と旅費がかかりすぎるという理由から、東京での開催に反対していた多くのIOC委員に対し、こう訴えた。
「1912年のストックホルム大会には自ら選手団長として初参加し、以来、日本はオリンピックへの出場を継続している。もし日本にオリンピックが来ないのであれば、日本からヨーロッパへの参加もまた遠距離であるから、出場する必要はないということになる」。
嘉納が強気な演説に打って出たのは、開催地を決める投票が行われた1936年(昭和11年)7月末のIOC総会(ベルリン)でのことだった。その結果、ヘルシンキに36票対27票で勝利したのである。
オリンピックの開催都市は、今日もIOC委員の投票によって決められている。東京が狙う2016年の大会の場合、今年10月2日(日本時間3日未明)、デンマーク・コペンハーゲンで開かれるIOC総会が最終プレゼンテーションと投票の場となる。この決戦の舞台で、かつて嘉納が成し遂げた離れ業を、ぜひとも再現したい。

現代に受け継がれる嘉納の精神


▲柔道衣を着て喜ぶ子供たち(提供 柔道教育ソリダリティー)

柔道を通じて、スポーツによる人間教育と国際交流・貢献を実践した嘉納治五郎の精神は、現代にも受け継がれている。
例えば、ロサンゼルスオリンピック柔道金メダリストの山下泰裕さんは2006年、NPO法人「柔道教育ソリダリティー」を設立し、世界各地で柔道教室を開いている。また、発展途上国に柔道着や畳を贈るなどの支援も行う。
バルセロナ、アトランタオリンピック女子マラソンで、それぞれ銀・銅メダルを獲得した有森裕子さんは1998年、地雷で被害を受けたカンボジアの子どもたちを支援するNPO法人「ハート・オブ・ゴールド」を設立し、義手や義足で走ることで夢をもてるようにと、チャリティー活動に取り組んでいる。また、東京オリンピック・パラリンピック招致大使として、生で見るオリンピックの魅力を広く伝え、日本でオリンピックを開くことの意義を訴えていただいている。
これらの国際貢献は、嘉納が説いた「精力善用」「自他共栄」そのものといえるだろう。また、競技だけでなく、強靭な心と体、優れた知性と意思をもった人間を育てることを目的とするオリンピズムにものっとっている。

1909年(明治42年)、49歳でアジア初のIOC委員となり、その半生をオリンピックに捧げた嘉納治五郎の功績は、1940年の「幻のオリンピック」を経て、1964年の東京大会で実を結んだ。そして嘉納のIOC就任から、ちょうど100年目にあたる今年5月、「嘉納治五郎記念国際スポーツ研究・交流センター」が設立された。ここでは嘉納が掲げた理念のもと、オリンピック教育、アンチドーピング、スポーツを通じた国際交流、協力、援助などが総合的に行われる予定だ。いわば「精力善用」「自他共栄」を組織として実行するといっていいだろう。
これまで嘉納の存在を知らなかった方の、お一人でも多くに、先人の大きな意思と実行力を知っていただきたいと思う。そしてそこに、「なぜ、今、東京で再びオリンピックを開くのか?」のヒントを見出していただければ幸いである。



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