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【シリーズ】世界からつどう−未来への遺産(第2回)/東建月報2007年2月号掲載
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はじめに東京が「環境首都」として脱皮していくための具体的、かつ実現可能な戦略として、前号で、次の4点を述べ、「水と緑の回廊」について詳述いたしました。(←前号) 戦略1:水と緑の回廊をつくる 今号では、戦略2−4について述べたいと思います。 戦略2 東京の顔をつくりだす
東京は、江戸開府以来、400年の歴史を刻んできましたが、先の大戦で、市街地の大半が灰塵に帰しました。急速な復興を達成した一方で、美しい景観を再興させるという課題が、21世紀初頭、私たちに課せられています。「景観法」が施行されたにもかかわらず、現状では、美しい東京への道筋は市民の眼からは、明確ではありません。超高層ビルの林立のみが新しい東京の姿ではなく、歴史と文化に育まれた活力のある東京の顔を創り出していかなければなりません。図1は、世界の主要都市の都心の緑地を同じ縮尺で、表したものです。中央のハートの形をしたものが、東京の皇居を中心とする緑地で、ロンドン、パリをしのぐ広大な緑地が、東京の中央に存在していることが、比較することにより、よくわかります。 皇居に例をとるまでもなく、東京には、江戸の資産を継承した、大規模な緑地が、数多く残されています。そして、東京の特色は、これらの緑地が、巨大なターミナル駅と隣接して存在していることです。事例をあげれば、東京駅と皇居、上野駅と上野公園、新宿駅と新宿御苑、渋谷駅と代々木公園などです。これらの相異なるインフラは、これまで互いの相乗効果を生かした基盤整備は行われてきませんでした。それぞれ、別のものとして存在してきたのです。私は、この東京のターミナル駅と緑地の立地特性を活かし、東京の顔を、明確なメッセージとして発信していくべきと考えます。 一例を東京駅と皇居にとれば、東京駅丸の内エリアでは、再開発に伴い、駅前広場の整備や公開空地、プロムナードの整備が行われ、街が一新されつつあります。行幸通り、馬場先通りを超えた皇居外苑は(写真1)、大正年間に松と芝による品格のある空間として整備されましたが、中央を内堀通りが貫いており、長い間、その再生が課題となってきました。図2は、昭和17年(1942)に東京府が作成した皇居外苑の内堀通り地下化計画図で、「東京の都市計画百年史」(東京都発行)に納められており、地下化のための資金は、国民の浄財を募ると記載されています。世情の違いはあるとはいえ、今日なお、慢性的交通渋滞にあえいでいる内堀通りが、大深度地下などの技術により地下化されれば、まとまった美しい広場が、都心に生み出されることとなります。皇居外苑が安全で美しい公園となれば、ここを基点とし、皇居東御苑、北の丸公園へのアクセスが改善されます。また、知的活動が財産である都心のオフィスのワーキングスタイルも一新されるでしょう。 広大な東京駅のプラットフォーム上は、軽量土壌により、屋上緑化を行えば、日比谷公園に匹敵する緑地を生み出すことができ、東京湾、浜離宮から連なる野鳥のエコロジカルコリダーの創出が可能となります(図3)。 図4は、新宿駅南口からみた将来のイメージです。新宿駅南口では、現在、甲州街道の橋梁の架け替え工事に伴う再開発、地下鉄13号線の工事、環状第5号線の工事などが、一斉に行われています。隣接地には、広大な新宿御苑の森が控えており、玉川上水の復活運動など、駅と緑地のインフラの相乗効果をめざした基盤整備への取り組みが行われています。「駅を抜けると、そこは森だった」という新しい都心像が、世界で最も乗降客の多い新宿駅で可能となれば、環境首都としての強力なメッセージを発信していくことができます。 写真2は新宿御苑の緑の海、写真3は、半蔵門から伸びる放射第5号線の新宿御苑トンネルの入り口を撮影したものです。昭和21年(1946)に都市計画決定された旧放射第5号線は、この新宿御苑の森を分断する形で計画されていたため、昭和40年代に広範な環境保全運動がおこりました。その結果、放射第5号線は、地下化され、歴史的な森が保全されたことは、今日、ほとんど忘れられています。この事業は地下化に伴い、影響の生じた1,869本の樹木を調査し、移植を行い、健全な樹木を再びもどし、さらに必要な補植を行い、森の再生を行ったプロジェクトでした。 ここで述べた内堀通りの地下化など、夢と思われるかもしれませんが、東京では新宿御苑トンネルのような環境の保全と道路整備を両立させたプロジェクトが過去に実現に移されてきたので、私たちの先達が、成し遂げてきたことを謙虚に学ぶことにより、今後の進むべき道を模索することは、大変重要であると考えます。 このように駅と一見、無関係な環境インフラとしての緑地を互いに補完するものとして捉えることにより、私たちの東京には、無限の可能性があることがわかります。図5は、山手線と隣接する緑地を新たな環境インフラとしてとらえ、21世紀の社会的共通資本とすることを提案したものです。この「山手線環状リング」は、新しい東京の未来を示すものです。 | ||||||||
戦略3 臨海に海の自然を再生する
2016年のオリンピック開催をめざし、臨海部のインフラの整備が提案されています。東京湾は、まさに豊饒の海と呼ぶにふさわしい生命の宝庫であり、江戸・東京の歴史の縮図ともいえます。東京における臨海のインフラ整備の特色は、海の自然環境を回復する努力が営々として続けられてきたことにあります。 図6は、臨海部に整備されてきたさまざまの公園緑地の分布を示したものです。汐留の浜離宮庭園は(写真4)、潮の満ち干を利用した優れた池泉回遊式庭園であり、江戸期に植栽された、うねるようなタブノキは、都市の自然の底力を、私たちに示しています。 しかしながら、東京における臨海部に欠けているものは、市民が直接、海と親しむことのできる空間です。写真5は、その数少ない事例である、お台場海浜公園です。この地は、昭和50年代はじめまでは茫漠とした埋立地であり、飛砂防止のためのクロマツを根付かせるため、周辺に成長力の旺盛な夾竹桃や、ニセアカシアを植え、森が育成されてきました。今日、お台場は、多くの人びとが集うファッショナブルな場となっていますが、海に親しむことのできるインフラの整備が、街の活力の創出に大きな影響を与えていることが、わかります。 また、臨海部は、生物多様性の宝庫です。陸が接する汽水域は、エコトーンとよばれ、多くの生物の生息する空間を形成しています。エコトーンの創出は、大井野鳥公園(写真7)や、葛西臨海公園に、その優れた先例があり、これを沿岸部へ積極的に展開していく必要があります。現在、埋め立てが進められている、新海面処分場は、「海の森」として、環境首都東京の心臓部へと展開させていくことが重要です。 戦略4 生命を守り、育む都市をつくる災害は忘れた頃にやってくるといわれていますが、東京は、直下型地震の脅威に晒されている都市であることは、言うまでもありません。平常時の怠りのない備えが、何よりも重要です。図7は、大正12年(1923)の関東大震災時に発生した大火時の延焼の状況を復元したものです。火災流は、不忍池、上野公園、皇居など、緑地でとまっていることがわかります。これとは対照的に、まとまった緑地のない地区では、本所被服廠にみられたように避難した人びとが、火災流により、亡くなられるという悲劇がおこりました。 戦後、半世紀を経て、平成7年(1995)におこった阪神・淡路大震災では、6,398人の尊い命が失われました。写真8は、震災発生直後の神戸市長田区の大国公園という小さな街区公園を撮影したものです。公園の周辺に植えられている樹木は、クスノキですが、火災により黒こげになりながらも、しっかりと延焼を防いだことが写真からわかります。そして、このささやかな公園は、被災直後の炊き出し、救援、情報交換の場となり、また、人びとの心を支える場ともなりました。 また、震度7の激震でも、街路樹や生垣は、ほとんど倒壊することはありませんでした。被災直後に現地に支援のため、はいった私は、電柱やブロック塀が、軒並み倒壊している中で、街路樹や生垣が倒壊した建物を支え、避難路をかろうじて確保している光景を数多く眼にしました。 樹木や、緑地は、うるおいや、安らぎを私たちに与えてくれるだけではなく、非常時に命を守ってくれる強い味方です。今日、都市再開発により、ささやかではありますが、公開空地が生み出されています。奇を照らうモニュメントではなく、土のある樹林を少しずつ、地道に再生していくことが、東京の環境インフラを強固にする近道であると考えます。 以上、今号では、2016年、第31回オリンピック開催に向けて、日本の立候補都市に東京が決定したことを受けて、21世紀を先導する環境都市東京のメッセージを鮮明に打ち出していくための4つの戦略について述べました。図8は、修復型都市計画による環境首都東京の水と緑の回廊の将来像です。 都市は、日々、新陳代謝を繰り返し、変化しています。この変化のエネルギーを、「環境都市東京」の実現に向けて集中的に、かつ、機敏に実現していくために、具体的なアクションプログラムを、様々な担い手が考え、実行していくことが重要です。私たちの東京を世界に誇る都市に磨いていきましょう。 【出典】 | ||||||||