江戸の土地造成と都市水道網の建設  
   
―― 独創的な技術で水道を管理
菊岡倶也(建設文化研究所主宰
羽村堰
羽村堰(「上水記」より。東京都水道歴史館提供)
普請はいくさなり
 慶長8年(1603)2月、徳川家康は伏見城で任将軍の宣旨(せんじ)を受け、征夷(せいい)大将軍として源頼朝(よりとも)以来の、全国の武家を指揮統轄する権限を手におさめました。
 徳川将軍の配下に組み入れられた諸大名たちは、将軍の命令があれば「軍役」である「普請」(ふしん)(建設工事のこと)を行う義務が課せられました。本来ならば軍事的な動員体制が軍役ですが、平和の時代が続いたので普請が軍役と位置づけられました。御手伝普請といわれる江戸時代における公共事業の執行体制の根源はこうして確立されました。
 この年の3月には、江戸市街地の造成が始まりますが、これらの事業への諸大名たちの動員は軍役であるという政策にもとづき、総動員体制の壮観さから「天下普請(ぶしん)」といわれました。
   
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