江戸の基礎は土木工事に始まる
 
――天正18年、家康、江戸に入る
   
菊岡倶也(建設文化研究所主宰)
 
 

徳川家康が、江戸に幕府を開くようになった最初の契機は、豊臣秀吉がつくりました。
 家康は豊臣政権の軍団長の一人として、秀吉の小田原征伐の先鋒として参陣しますが、そのとき秀吉から関東移封すなわち転勤命令を受け、駿河・三河・遠江・甲斐・信濃の5ケ国を豊臣政権に差出し、代わりに北条氏滅亡後の関東すなわち武蔵(東京都・埼玉県)・相模(神奈川県)・安房(千葉県)・下総(千葉県・茨城県)・上総(千葉県)・上野(群馬県)・下野(栃木県)の関東が与えられました。5ケ国経営は軌道に乗っており、内心は気が染まないものであったと思われますが(家臣は反対したといいます)、家康は秀吉の命令に従いました。家康旧領5ケ国への移封を断った織田信長の遺子は、大名の身分を剥奪されたというように秀吉の命令は絶対でした。

陰陽学にもとづく四神相応の地
江戸の街は南北軸を112度東北東へ回転。
・神がやどる山(富士山)
・神がやどる川(平川)
・神がやどる海(江戸湾)
・神はやどる道(東海道)
 
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