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東京ビジネス拠点の新しい核となる巨大複合機能都市
~ゲートシティ大崎~(東建月報5月号掲載)


▲画面手前右のグレイのビル群がゲートシティ大崎。左の白いビル群が大崎ニューシティ、レインボーブリッジ手前に品川インターシティ、さらにその手前の二棟の茶色のビルが御殿山ヒルズ。
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▲従前の大崎駅東口(上2点とも)
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▲ウエストタワーのファサードの夜景
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5層吹き抜けのアトリウム
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直線的な商業棟に対し、緑の中に曲線的なフォルムで佇む住宅棟
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▲南欧情緒豊かに、低層で開放的な設計のサンクスガーデン
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アメリカ各都市の公共広場、公園等の設計を手がけたトーマス・バルズレーの造形によるアメニティ空間が随所に配されている。

京浜工業地帯の要として発展
 かつてJR山手線の駅の中では、比較的地味な存在だった大崎駅周辺だが、この十数年の間に大きく様変わりした。市街地再開発事業として昭和62年(1987)、東口に「大崎ニューシティ」が出現したのに続き、平成11年(1999)には巨大複合機能都市「ゲートシティ大崎」がオープン。近未来を予感させる都市空間が誕生した。

 この大崎という土地は、江戸時代にはのどかな田園地帯だった。元禄時代は幕府の直轄地(天領)で、東海道品川宿に人馬を提供したり、享保年間には御鷹場に指定されて、鷹狩りにかかわるさまざまな夫役をこなし、鷹の生き餌を上納していたという。

 ところが明治時代になり目黒川沿いに、日本で最初の洋式ガラス工業の端緒となった「興業社」が設立されると、これを皮切りに相次いで工場が新設され、大崎は近代工業のメッカとなる。明治34年(1901)には大崎駅が開業。これに目黒川の水利も加わり、五反田から大崎、さらに臨海地帯へと至る目黒川沿岸地域は、第一次世界大戦後の好景気に沸いた大正時代に工場創設のラッシュを迎え、京浜工業地帯を形成する。こうした町の発展に伴い、明治45年に約1万人だった大崎の人口も、大正13年には約4万8千人にまで膨れ上がった。

 昭和になり、太平洋戦争の大空襲で東京は大きな被害を受け、大半が焦土と化したが、昭和30年代、重化学工業を中心とした高度経済成長期に突入すると、大崎、目黒川沿いには工場が増え続け、最先端の家庭電化製品が生み出されるようになる。

 その一方で昭和40年代には、交通騒音や大気汚染など、生活環境の悪化が取り沙汰されるようになり、目黒川でも悪臭が問題化する。昭和48年(1973)のオイルショック以降の低成長期、街づくりは、「人にやさしい」「環境にやさしい」方向へとシフトし、大崎のある品川区でも目黒川の浄化に取り組み始める。さらに昭和51年(1976)には、大崎地区の工業の再編成を図る「品川区長期基本構想」が打ち出され、工場群の直接生産部門を移転し、かわりに研究、情報、営業などの部門を拡張した都市型の工業地化を推進した。

住宅と産業の調和を目指す再開発
 しかし、工場移転跡地が個別に開発されれば乱開発につながる危険性もある。ことに住工混在の大崎駅東口周辺は、オープンスペースの不足や道路の未整備などの問題も抱えており、都市づくりの総合的な視野に立っての再開発が望まれていた。

 昭和53年(1978)、品川区では「住宅と産業の調和のとれた緑豊かな近代都市」を実現するため、「品川区長期基本計画」を策定し、都市づくりの主要事業として大井町、大崎の再開発を掲げ、「住民参加の都市づくり」を基本方針として進めた。再開発の対象となった大崎駅東口地区のうち、駅寄りの第一ブロックは地権者に法人が多いこともあって合意形成が順調に進み、昭和56年(1981)に準備組合が設立され、昭和62年(1987)に「大崎ニューシティ」としてオープンした。

 しかし、現「ゲートシティ大崎」のある地区はやや難航した。昭和56年から58年にかけ、企業権利者7社による協議会が会合を重ね、一方で、地元権利者による自主的な集まり「大崎再開発を考える会」が発足。昭和59年(1984)に両者を合わせた準備組合が設立され、地価高騰による事業計画の見直しなどを経て、平成4年(1992)「大崎駅東口第二地区市街地再開発組合」として正式に発足し、平成6年(1994)に東京都の認可を受け、準備工事に着手。それから4年以上が経過した平成11年(1999)、やっと完成の日を見た。

東京の7つの副都心のひとつとして
 ゲートシティ大崎は開発面積5.9ヘクタール、述べ床面積31.9万平方メートルの巨大複合機能都市である。その際立った特徴としては、まず、四角形、八角形、十字形を組み合わせたユニークな建物デザインが挙げられる。規模の大きいゲートシティでは、高さを低くする(最高部約98メートル)ことで平面的な広がりが生まれた。基準階の面積も大きくなり、四角形でなくても使いやすいオフィスをデザインすることが可能になったのだ。

 都市の中心を成すのは、地上24階、地下4階、日本最大級の基準床面積(4,088平方メートル)を有する二棟のオフィスビル、ツインタワー。ワンフロア当たりの面積が広いため、入居企業にとっては複数階を使う不便さがなくなる。業務効率の高いオフィススペースの実現である。また、この二棟をリンクする低層部は、商業施設を備えた五層吹き抜けのアトリウムとなっており、美しいカスケードを備えた南欧風のサンクンガーデンなどとともに、採光性豊かなパブリックスペースを提供している。

 このゲートシティ大崎の誕生で、実現に向けて大きく歩を進めたのが、大崎副都心構想である。大崎は、技術先進国を支えてきた高度で多様な技術の集積や、インフラを含めた総合的な開発が可能な地域としての発展性、首都圏や全国主要都市へのアクセスの良さなどが評価され、平成2年、第三次東京都長期計画において7つの副都心の1つとして位置づけられた。

 大崎副都心構想は、ゲートシティ周辺だけでなく、駅の周辺、東五反田、北品川の一部を含んだ広い地域にわたる。大崎では今後、西口地区でも、旧来の工場用地からの脱皮を図る再開発が計画されており、将来的には東西を結ぶ歩行者デッキによって駅周辺を一体化する構想もある。さらに、東五反田・北品川地区でもインフラを含めた高次複合地区としての開発が構想されている。

 今後、天王洲アイルや品川駅東口地区、恵比寿ガーデンプレイスなどから成る、東京のサウスエリアの中核としても、大いに発展が期待されるところである。


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