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民間主導の複合市街地 天王洲アイル(東建月報8月号掲載)

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▲天王洲アイル全景(平成6年頃)
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▲再開発以前の倉庫物流地区であったころの天王洲アイル(昭和60年頃)
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▲品川埠頭方面から天王洲アイルを望む(平成4年頃)
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▲東京湾に突き出た部分は、ホテルや劇場があるシーフォートスクエア
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▲シーフォートスクエアを取り囲んで配されたボードウォークの夜景
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▲シーフォートスクエアの中央に位置するガレリア
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▲天王洲アイルの文化の象徴である劇場アートスフィア
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▲夕暮れとともに、機能的なビジネス都市からくつろぎの街へ。
時は自然に流れていく……
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▲ビル間のアクセスを容易にするスカイウォーク

大流通倉庫街からの転身
 東京湾に突き出た総面積22ヘクタールの人工洲に、現代的なデザインのビル群が林立する。東京ウォーターフロント開発の先駆けともいえる複合市街地として注目を集め、将来的にも東京副都心計画の拠点の1つとして期待されている天王洲アイルだが、ほんの10年ほど前までは、余人が足を踏み入れることなど考えられない、殺風景な一大流通倉庫街だった。
 天王洲という地名は、この地がまだ江戸湾だった宝暦元年(1751)、舟で渡っていた人間が、海中から光り輝く牛頭(ごず)天王の面を引き上げた、という故事に由来する。その後、江戸後期の「黒船」事件を発端に、湾岸に砲台として続々と「お台場」が建造され、第四台場として生まれたのが、いまの天王洲である。
 明治になって、陸軍の管理下で造船所が建設されたのち、1917年に民間に払い下げられ、32年に「天王洲町」と命名された。その間も埋め立て事業は進められ、完成したのは39年。それから再開発事業が着工する89年まで、天王洲は流通倉庫の集積する準工業地域としての役割を担ってきたのである。

地元企業22社の結束
 天王洲に転身のきっかけを与えたのは、オイルショック後の長い不況の中で、企業に臨海部の土地利用転換の動きが出てきたことだった。天王洲に倉庫を所有する企業も、各社それぞれに新しい開発の方向を模索していた。
 そこに1984年、たまたま東京都から、天王洲の中央部分に清掃局のごみの積み出し場を移転するという話が持ち上がる。従来、町会を通じて親密な人間関係を築いていた地権者22社(現在25社)は、これに対する反対運動を引き金に結束し、85年、運動の方向に修正を加えて、天王洲の再開発を推進する「天王洲総合開発協議会」を発足させる。
 多数決は取らず、あくまで話し合いによる全会一致で決定するという方針のもと、マスタープランの作成に着手し、浜松町と羽田を結ぶ東京モノレールと新駅設置の覚書を締結。86年にはごみの積み出し場も加えた「東品川二丁目(天王洲)マスタープラン」を策定し、費用の大部分を地元負担ということで都や品川区を動かして、民間主導の開発に乗り出す。
 時代はバブル崩壊を迎え、ウォーターフロント開発も計画の見直しや中断が相次ぐ中、天王洲は89年「東京MIビル」の着工を皮切りに順調に開発を進め、92年にはモノレール羽田線「天王洲アイル駅」が竣工。96年までには現在のビル群のすべてが竣工し、民間主導のプロジェクトとしては異例の早さで開発が進められた。

個性豊かな複合市街地
 天王洲アイルの開発指針の一つに、「国際化・情報化に対応した業務地域の形成とともに、安全で快適な歩行者空間の創造と良好な都市景観を持つ個性豊かで魅力ある複合市街地の形成を図る」とある。実際にオフィス、店舗、住居、アメニティー空間を擁したビル群は、天王洲を十字に走るモノレールと環状六号線によって三つの区画(シーフォートスクエア、センタースクエア、パークスクエア)に分断されながら、各区画が相互に機能、空間を共有する工夫をこらし、24時間、仕事と生活に密着した「市街地」を形作っている。
 例えばモノレールの駅を建物内に取り込み、5棟から成る「シーフォートスクエア」の場合、敷地の西側にはオフィスタワーの群れによる「壁」を作り、海側に店舗、レストラン、ホテル、ホールといった集客力のある施設を設置している。
 このビル群とモノレールを挟んでセンタースクエアに建つ「スフィアタワー天王洲」は、駅から延びるコンコースによってシーフォートスクエアと一体感を持つ。オフィスを主体に、上部4フロアにスポーツ施設、足元2棟のアネックスビルには飲食主体の11の店舗と多目的ホールを備えたこのビルは、シーフォートスクエアと共に「まち」の賑わいを担う一角を形成している。また、このビルとスカイウォークで結ばれた「天王洲セントラルタワー」も、オフィスビルでありながら、水辺にイベント広場を設け、その広場に面して低層棟2階建てのレストランを設置している。
 一方、公団住宅を中心に、オフィス、店舗を有する「天王洲ビュータワー」も、南側の天王洲公園を中心としたパークスクエアに建ちながら、2階部分がモノレールの駅と解放感のあるスカイウォークで結ばれ、市街地としてのスタイルを保つ。このスカイウォークは天王洲アイルの大部分の建物の2階部分を連絡する計画で、現在も整備が進行中である。
 さらに、運河に囲まれた天王洲の島状の地形を活かし、運河沿いに全域をぐるりと囲むボードウォークを整備、ビルの足元や共有スペースの要所には中庭、広場などを設け、水と緑を効果的に取り込んだパブリックスペースを配置した。これによって一般の歩行者にも快適な街づくりが実現している。

飛躍的に向上する交通体系
 1992年モノレール駅竣工でオープンした当初、天王洲アイルは大人のためのアーバンリゾートのスポットとして脚光を浴び、カップルを中心に流行に敏感な人々を吸い寄せてきた。その人気は次第に落ち着きを見せ、現在は近隣のビジネスマンやカップル、幅広い年齢層のグループ、若いファミリーなど、多様な人々が楽しみ、憩う場となっている。
 しかし今後の天王洲アイルを占うと、そこには大きな変化が予想される。
 材料としては、まず、東京臨海高速鉄道が進めている臨海副都心線の開通が挙げられる。この鉄道は新木場から臨海副都心、大井町を経て、大崎までを結ぶ予定で、天王洲アイルは1994年、新駅の誘致を決定した。2002年に見込まれている全線開通の折りには、新木場まで10分、新宿まで20分、大宮まで50分となり、東京都の臨海副都心計画や、新しい再開発事業の成功例である恵比寿ガーデンプレイス、また新宿副都心などともアクセスが容易になる。
 さらに、天王洲アイルのウォーターフロントとしてのロケーションを活かしつつ、他の臨海地区とのアクセスも視野に入れたうえで、海上バスなど海の交通の整備が検討されている。
 これら交通体系の飛躍的な向上により、近い将来、人の流れは大きく変わると予想される。殺風景な倉庫街から一転、個性的なアーバンリゾートとして人気を集めた天王洲アイル。その真価は、これからさらに発揮されていくに違いない。


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