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清澄庭園(東建月報8月号掲載)

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▲涼やかな磯渡り
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▲大正記念館
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▲園内のそこここに
名石が配されている
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▲涼亭玄関
 
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▲松島
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sp.gif (807 バイト)▲傘亭
 
 
▲「古池の句」碑
園内奥にひっそりと立つ(近くの
芭蕉庵より移設したもの)

 江東区清澄にある「清澄庭園」は、江戸の豪商・紀ノ国屋文左衛門の屋敷であった所を、享保年間(1716~1736)に下総関宿藩久世大和守が下屋敷とし、この頃から庭園の基が形造られたと言われる。
 明治11年(1878)に岩崎弥太郎の所有となり、弥太郎はこの地を社員の慰安や貴賓を招待する場所として造園を計画。抜本的に整備築庭が行われ、明治18年(1885)に「深川親睦園」として竣工をみた。その後も造園工事は進められ、池水は隅田川からの導水による潮入り庭園で、潮の干満の差によって景観が変化するよう造園されている。この大泉水をはじめ、築山、枯山水を中心に、周囲には全国から取り寄せた名石が配され、明治を代表する「回遊式林泉庭園」が完成した。
 大正12年(1923)の関東大震災により、建物や樹木のほとんどは焼失したが、深川の多くの人々はここに避難し、死をまぬがれた。その後、岩崎氏はこの地を東京市に寄付、昭和20年(1945)の東京大空襲により、再び荒廃したが、28年(1953)に復旧完成し、現在に至っている。
 昭和54年(1979)3月31日、東京都の名勝に指定された。指定面積は、37434.32平方メートル。

泉水  広い池に三つの中島を配し、数寄屋造りの建物、水面に小島、木々の影を映す庭園の要になっている。昔は隅田川から水を引いていたため、潮の干満によって池の景観が微妙に変化したといわれる。

名石  当時、岩崎家が自社の汽船で全国の名石を産地から集め、園内に配した。代表的なものは、伊豆磯石・伊予青石・生駒石・伊豆式根島石・佐渡赤玉石・相州真鶴石・備中御影石・加茂真黒石・京都保津川石・讃岐御影石等々がある。ほかに、敷石や磯渡りの石を含め、無数の石が配置されており、まさに「石庭」の観を呈している。

磯渡り  池の端に石を飛び飛びに置き、水辺を歩けるようにしてある。池を泳ぐ大きな鯉や水面に映る樹木の影など、景観の変化が楽しめる。

富士見山  全山、ツツジとサツキで覆われ、別名を「つつじ山」とも。園内で一番高く大きな築山となっている。

涼亭  池に突き出すように建てられた数寄屋造りの建物。これは、明治42年、国賓として来日したイギリスのキッチナー元帥を迎えるために、岩崎家が建てたもの。昭和60年(1985)に全面改築工事が行われ、現在に至っている。

大正記念館  大正天皇の葬儀に用いられた葬場殿を移設したものだったが、戦災で焼失。昭和28年(1953)に貞明皇后の葬場殿の材料を使って再建された。現在の記念館は平成元年4月に全面改築されたもの。

 清澄庭園へは、東西線「門前仲町」駅より徒歩20分、または都営新宿線「森下」駅より徒歩15分。都営バス利用の場合は「清澄庭園前」下車徒歩3分。  開園時間は、9時~17時(入園は16時半まで)。休園は年末年始(12月29日~翌1月3日)のみ。入場料150円(65歳以上と小学生以下及び、都内在住在学の中学生は無料)。なお、涼亭、大正記念館とも集会所として貸出しもしている。



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